【寺の歴史】
土佐路の西南端、「修行の道場」最後の霊場です。
現在の山号、寺名の由来にかかわる竜宮城の縁起からひも解きましょう。911年のころ、竜宮に棲んでいた赤亀が背中に銅の梵鐘を背負ってきたといいます。僧たちは早速これを寺に奉納して、これまでの山号、寺名を「赤亀山延光寺」に改めました。この梵鐘には「延喜十一年正月…」の銘が刻まれており、総高33.6㎝、口径23㎝の小柄な鐘です。明治(1868-1912)のはじめ、高知県議会の開会と閉会の合図に打ち鳴らされていたともいわれ、国の重要文化財に指定されています。
縁起を寺の起源にもどしましょう。724に行基菩薩が聖武天皇(在位724〜49)の勅命を受けて、安産、厄除けを祈願して薬師如来像を彫造。これを本尊として本坊のほか十二坊を建立したのが開創とされています。当時は、薬師如来の瑞相にちなんで亀鶴山と称し、院号は施薬院、寺名を宝光寺と呼んだといいます。また、本尊の胎内には行基菩薩が感得したという仏舎利を秘蔵したようです。
弘法大師がこの寺を訪ねたのは延暦年間(782〜805)のころ。桓武天皇(在位781〜806)の勅願所として再興、日光・月光菩薩像を安置して、七堂伽藍を整えました。このとき大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水が、今日に伝わる「眼洗い井戸」です。
【眼洗い井戸】
本堂の右手にあります。弘法大師により「宝医水」と名づけられました。眼病にも効くとされ、眼の周りを浸している遍路さんが多いです。
【赤亀の石像】
仁王門をくぐった右手にあります。竜宮城伝説をモチーフにした石像です。赤い大きな亀が背中に鐘を乗せた姿をしています。尚、本物の鐘は現存しており、寺で保管されています。
【その他見どころ】
・1680年建立の石碑
【年中行事】
・節分会
日時:2月3日
・厄除祈祷会
日時:2月初午
・縁日大祭
日時:8月21日
土佐路の西南端、「修行の道場」最後の霊場です。
現在の山号、寺名の由来にかかわる竜宮城の縁起からひも解きましょう。911年のころ、竜宮に棲んでいた赤亀が背中に銅の梵鐘を背負ってきたといいます。僧たちは早速これを寺に奉納して、これまでの山号、寺名を「赤亀山延光寺」に改めました。この梵鐘には「延喜十一年正月…」の銘が刻まれており、総高33.6㎝、口径23㎝の小柄な鐘です。明治(1868-1912)のはじめ、高知県議会の開会と閉会の合図に打ち鳴らされていたともいわれ、国の重要文化財に指定されています。
縁起を寺の起源にもどしましょう。724に行基菩薩が聖武天皇(在位724〜49)の勅命を受けて、安産、厄除けを祈願して薬師如来像を彫造。これを本尊として本坊のほか十二坊を建立したのが開創とされています。当時は、薬師如来の瑞相にちなんで亀鶴山と称し、院号は施薬院、寺名を宝光寺と呼んだといいます。また、本尊の胎内には行基菩薩が感得したという仏舎利を秘蔵したようです。
弘法大師がこの寺を訪ねたのは延暦年間(782〜805)のころ。桓武天皇(在位781〜806)の勅願所として再興、日光・月光菩薩像を安置して、七堂伽藍を整えました。このとき大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水が、今日に伝わる「眼洗い井戸」です。
【眼洗い井戸】
本堂の右手にあります。弘法大師により「宝医水」と名づけられました。眼病にも効くとされ、眼の周りを浸している遍路さんが多いです。
【赤亀の石像】
仁王門をくぐった右手にあります。竜宮城伝説をモチーフにした石像です。赤い大きな亀が背中に鐘を乗せた姿をしています。尚、本物の鐘は現存しており、寺で保管されています。
【その他見どころ】
・1680年建立の石碑
【年中行事】
・節分会
日時:2月3日
・厄除祈祷会
日時:2月初午
・縁日大祭
日時:8月21日
- エリア
- 高知県西部
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 〒788-0782 高知県宿毛市平田町中山390 |
---|---|
電話番号 | 0880-66-0225 |
アクセス | 土佐くろしお鉄道宿毛駅から、中村市街を目指す方向で国道56号線を走り、バス停寺山口のところを左折。そのまま約1km直進し、正面にあります。 |
駐車場 | 普通50台・マイクロバス10台・大型5台 |
駐車場代 | 無料 |