天皇家・徳川将軍家との縁深き寺院
寺の歴史
寺は松山城をはじめ、松山の市街、瀬戸内海まで一望できる高台にあります。のどかな風情の境内周辺は、美しい自然の宝庫として景観樹林保護地区に指定されています。
縁起によると、天平勝宝年間(749-757)に孝謙天皇(在位749-58)の勅願により、行基菩薩が彫造した薬師如来像を安置し、建立したと伝えられています。天皇より祭具としての幡を賜った為にこれが寺名になったという説も。弘仁年間(810-24)には弘法大師がこの地を巡錫し、寺に滞在しました。
その後、寺は衰微したものの、伊予の国司・源頼義や僧・堯蓮らの援助で再興。1279年には後宇多天皇(在位1274-87)の勅命をうけ、聞月上人が蒙古軍の撃退を祈祷しています。また、時宗の開祖・一遍上人(1239-89)も、青年期に太宰府から伊予に帰郷した際、当寺にこもり修行しました。一遍上上人は晩年の1288年、亡父・如仏が所蔵していた『浄土三部経』をこの寺に奉納しています。
また、天皇家の菩提寺である京都・泉涌寺とのゆかりも深いです。1395年には後小松天皇(在位1382-1412)の勅命により、泉涌寺26世・快翁和尚が繁多寺の第7世住職となっています。こうした縁から、寺には泉涌寺の16弁の菊花紋章がついた瓦が残っています。
さらに江戸時代(1603-1868)には徳川家の帰依をうけ、四代将軍・家綱が念持仏としていた3体のうちの歓喜天を祀ることも。36坊と末寺100数余を有するほどの大寺として栄えました。
その他見どころ
一遍上人
接待一万人の石柱(山門前にある寺名の石柱裏側。10,000人のお遍路接待を成就した記念碑)
年中行事
花まつり(甘茶接待)
日時:4月8日
地蔵盆(子供相撲大会)
日時:8月24日
歓喜天縁日
日時:毎月16日
歓喜天大般若祈祷会
日時:1月16日、8月16日
寺は松山城をはじめ、松山の市街、瀬戸内海まで一望できる高台にあります。のどかな風情の境内周辺は、美しい自然の宝庫として景観樹林保護地区に指定されています。
縁起によると、天平勝宝年間(749-757)に孝謙天皇(在位749-58)の勅願により、行基菩薩が彫造した薬師如来像を安置し、建立したと伝えられています。天皇より祭具としての幡を賜った為にこれが寺名になったという説も。弘仁年間(810-24)には弘法大師がこの地を巡錫し、寺に滞在しました。
その後、寺は衰微したものの、伊予の国司・源頼義や僧・堯蓮らの援助で再興。1279年には後宇多天皇(在位1274-87)の勅命をうけ、聞月上人が蒙古軍の撃退を祈祷しています。また、時宗の開祖・一遍上人(1239-89)も、青年期に太宰府から伊予に帰郷した際、当寺にこもり修行しました。一遍上上人は晩年の1288年、亡父・如仏が所蔵していた『浄土三部経』をこの寺に奉納しています。
また、天皇家の菩提寺である京都・泉涌寺とのゆかりも深いです。1395年には後小松天皇(在位1382-1412)の勅命により、泉涌寺26世・快翁和尚が繁多寺の第7世住職となっています。こうした縁から、寺には泉涌寺の16弁の菊花紋章がついた瓦が残っています。
さらに江戸時代(1603-1868)には徳川家の帰依をうけ、四代将軍・家綱が念持仏としていた3体のうちの歓喜天を祀ることも。36坊と末寺100数余を有するほどの大寺として栄えました。
その他見どころ
一遍上人
接待一万人の石柱(山門前にある寺名の石柱裏側。10,000人のお遍路接待を成就した記念碑)
年中行事
花まつり(甘茶接待)
日時:4月8日
地蔵盆(子供相撲大会)
日時:8月24日
歓喜天縁日
日時:毎月16日
歓喜天大般若祈祷会
日時:1月16日、8月16日
- エリア
- 松山市
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 愛媛県松山市畑寺町32 |
---|---|
電話番号 | 089-975-0910 |
アクセス | 松山インターチェンジから国道33号線を松山市街へ。天山交差点を右折し、環状線に入ります。枝松交差点を越えた一つ目の交差点を右折し、約1km走ります。バス停畑寺を越えてさらに600m入ると正面にあります。 |
駐車場 | あり 普通車7台 |
駐車場代 | 無料 |
備考 | 宿坊:なし |