日本総鎮守・大山祇神社の別当寺
寺の歴史
四国霊場のうち「坊」がつく寺院はこの南光坊だけです。正式には光明寺金剛院南光坊といいます。場所は今治市の中心街。起源が古く、航海の神、総鎮守・伊予一の宮の大山祇神社と深くかかわっています。
594年に勅命を受けて、大三島に造立されました。703年には越智玉澄公が文武天皇の勅命により、風波のため祭祀がおろそかになるのを憂いて当地に勧請し、「日本総鎮守三島の地御前」と称して奉祭しました。その後、弘法大師が別館を参拝し、坊で法楽をあげ、四国霊場第五十五番札所と定めました。
のち、伊予全土におよんだ「天正の兵火」により、寺全体がことごとく焼失しましたが、南光坊だけが別宮の別当寺として再興されました。1600年には藤堂高虎公の祈願所として薬師堂を再建。江戸時代(1603-1868)には藩主・久松公の祈祷所にもなり、祭祀料が奉納されました。
さらに時代がさがり1868年の廃仏毀釈では、別宮大山祇神社と明確に分離しました。神社に本地仏として奉安していた、大通智勝如来と脇侍の弥勒菩薩像、観音菩薩像も南光坊薬師堂に移しました。
太平洋戦争最末期の1945年8月、空襲により大師堂と金比羅堂を残して罹災しました。現在の本堂は1981年秋、薬師堂は1991年春に、山門は1998年に再建されたものです。
その他見どころ
金比羅堂(讃岐の金比羅宮から勧請している金比羅大権現を祀る堂)
年中行事
修正会
日時:1月1日〜3日
御本尊お口開け
日時:1月9日
旧正御影供
日時:旧暦3月21日
金毘羅大権現大般若転読
日時:旧暦6月10日
霜月大師御影供
日時:12月21日
四国霊場のうち「坊」がつく寺院はこの南光坊だけです。正式には光明寺金剛院南光坊といいます。場所は今治市の中心街。起源が古く、航海の神、総鎮守・伊予一の宮の大山祇神社と深くかかわっています。
594年に勅命を受けて、大三島に造立されました。703年には越智玉澄公が文武天皇の勅命により、風波のため祭祀がおろそかになるのを憂いて当地に勧請し、「日本総鎮守三島の地御前」と称して奉祭しました。その後、弘法大師が別館を参拝し、坊で法楽をあげ、四国霊場第五十五番札所と定めました。
のち、伊予全土におよんだ「天正の兵火」により、寺全体がことごとく焼失しましたが、南光坊だけが別宮の別当寺として再興されました。1600年には藤堂高虎公の祈願所として薬師堂を再建。江戸時代(1603-1868)には藩主・久松公の祈祷所にもなり、祭祀料が奉納されました。
さらに時代がさがり1868年の廃仏毀釈では、別宮大山祇神社と明確に分離しました。神社に本地仏として奉安していた、大通智勝如来と脇侍の弥勒菩薩像、観音菩薩像も南光坊薬師堂に移しました。
太平洋戦争最末期の1945年8月、空襲により大師堂と金比羅堂を残して罹災しました。現在の本堂は1981年秋、薬師堂は1991年春に、山門は1998年に再建されたものです。
その他見どころ
金比羅堂(讃岐の金比羅宮から勧請している金比羅大権現を祀る堂)
年中行事
修正会
日時:1月1日〜3日
御本尊お口開け
日時:1月9日
旧正御影供
日時:旧暦3月21日
金毘羅大権現大般若転読
日時:旧暦6月10日
霜月大師御影供
日時:12月21日
- エリア
- 今治市周辺
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 愛媛県今治市別宮町3丁目1番地 |
---|---|
電話番号 | 0898-22-2916 |
アクセス | 今治インターチェンジから国道196号線片山交差点を左折、今治市街方面へ直進。今治大丸の前を左折、約500mの左手にあります。 |
駐車場 | あり 普通車20台/マイクロバス2台/大型車1台 |
駐車場代 | 無料 |
備考 | 宿坊:なし |