四国で唯一、毘沙聞天を本尊とする寺院
寺の歴史
四国霊場の中で、本尊を毘沙聞天とする札所は吉祥寺だけです。その縁起をたどりましょう。
弘法大師がこの地方を巡教したのは弘仁年間(814-824)とされます。その折に大師は1本の光を放つ檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを感得しました。大師は、この霊木で本尊とする毘沙聞天像を彫造、さらに脇侍として吉祥天像と善膩師童子像を彫って安置し、貧苦からの救済を祈願して開創したと伝えられている。
そのころの寺は、現在地より南東にあたる坂元山にありました。広い寺域に塔頭を21坊ほども有していたといいます。しかしながら、1585年、豊臣秀吉による四国攻めの争乱に巻き込まれて全山を焼失。その後1659年、末寺であった檜木寺と合併して、現在の地に移り再建されたと伝えられます。
寺宝に「マリア観音像」(非公開)があります。高さが30cmほど、純白の美しい高麗焼の像です。伝来の由縁は興味深いものです。土佐沖で難破したイスパニア船の船長は、長宗我部元親にこの像を贈りました。元親がマリア像を知らなかったことから、吉祥天のように美しい観音像として代々伝えられ、徳川幕府のキリスト教禁令にも難を逃れたそうです。寺にはほかに鎌倉時代(1185-1333)の「十二天屏風」、室町時代(1336-1573)の「山越阿弥陀三尊像」(紙本著色)などが保存されています。
その他見どころ
毘沙門天(四天王のうちの北方を司る「多聞天」で現世利益の仏様として信仰されている)
年中行事
毘沙聞天初会式(護摩供)
日時:1月3日
花まつり(甘茶接待)
日時:旧4月8日
四国霊場の中で、本尊を毘沙聞天とする札所は吉祥寺だけです。その縁起をたどりましょう。
弘法大師がこの地方を巡教したのは弘仁年間(814-824)とされます。その折に大師は1本の光を放つ檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを感得しました。大師は、この霊木で本尊とする毘沙聞天像を彫造、さらに脇侍として吉祥天像と善膩師童子像を彫って安置し、貧苦からの救済を祈願して開創したと伝えられている。
そのころの寺は、現在地より南東にあたる坂元山にありました。広い寺域に塔頭を21坊ほども有していたといいます。しかしながら、1585年、豊臣秀吉による四国攻めの争乱に巻き込まれて全山を焼失。その後1659年、末寺であった檜木寺と合併して、現在の地に移り再建されたと伝えられます。
寺宝に「マリア観音像」(非公開)があります。高さが30cmほど、純白の美しい高麗焼の像です。伝来の由縁は興味深いものです。土佐沖で難破したイスパニア船の船長は、長宗我部元親にこの像を贈りました。元親がマリア像を知らなかったことから、吉祥天のように美しい観音像として代々伝えられ、徳川幕府のキリスト教禁令にも難を逃れたそうです。寺にはほかに鎌倉時代(1185-1333)の「十二天屏風」、室町時代(1336-1573)の「山越阿弥陀三尊像」(紙本著色)などが保存されています。
その他見どころ
毘沙門天(四天王のうちの北方を司る「多聞天」で現世利益の仏様として信仰されている)
年中行事
毘沙聞天初会式(護摩供)
日時:1月3日
花まつり(甘茶接待)
日時:旧4月8日
- エリア
- 西条市周辺
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 愛媛県西条市氷見乙1048 |
---|---|
電話番号 | 0897-57-8863 |
アクセス | いよ小松インターチェンジから国道11号線を西条市方面へ、氷見小前交差点を過ぎてすぐの左手にあります。 |
駐車場 | あり [民間駐車場]普通車5台/大型車5台 |
駐車場代 | [民間駐車場]普通車300円/大型車1000円 |
備考 | 宿坊:なし |