寺の歴史
明治維新(1868年)以後、本坊は学校や警察、郡役所などの公共施設に提供されました。地元では「長尾の観音さん」や「力餅・静御前得度の寺」として親しまれています。 開創は聖徳太子という説もありますが、739年に行基菩薩による説が一般的です。行基がこの地を歩いていると道端に楊柳の霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を彫造し本尊としました。その後、弘法大師がこの寺を訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を修法して、国家安泰と五穀豊穣を祈願しました。その祈願は現在にも受け継がれ、毎年正月の7日には「大会陽」が盛大に開催されています。
唐から戻った弘法大師は、再びこの地を訪れます。「大日経」を一石に一字ずつ書写し、供養塔を設立し、真言宗に改宗。長きに渡り多くの天皇から帰依された寺でしたが、天正の兵火により、本堂以外は灰燼に帰します。江戸時代(1603-1868)に藩主、松平頼重(まつだいらよりしげ)が堂塔を整備。その時に天台宗に改めています。
その他見どころ
大会陽力餅
静御前剃髪塚(静御前が母の磯禅尼とともに得度した後、髪を埋めたと言われる塚)
年中行事
◇初天神
(併せて筆供養お炊き上げ)
日時:1月25日
◇秋例大祭
(前日宵宮)
日時:10月第2日曜
明治維新(1868年)以後、本坊は学校や警察、郡役所などの公共施設に提供されました。地元では「長尾の観音さん」や「力餅・静御前得度の寺」として親しまれています。 開創は聖徳太子という説もありますが、739年に行基菩薩による説が一般的です。行基がこの地を歩いていると道端に楊柳の霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を彫造し本尊としました。その後、弘法大師がこの寺を訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を修法して、国家安泰と五穀豊穣を祈願しました。その祈願は現在にも受け継がれ、毎年正月の7日には「大会陽」が盛大に開催されています。
唐から戻った弘法大師は、再びこの地を訪れます。「大日経」を一石に一字ずつ書写し、供養塔を設立し、真言宗に改宗。長きに渡り多くの天皇から帰依された寺でしたが、天正の兵火により、本堂以外は灰燼に帰します。江戸時代(1603-1868)に藩主、松平頼重(まつだいらよりしげ)が堂塔を整備。その時に天台宗に改めています。
その他見どころ
大会陽力餅
静御前剃髪塚(静御前が母の磯禅尼とともに得度した後、髪を埋めたと言われる塚)
年中行事
◇初天神
(併せて筆供養お炊き上げ)
日時:1月25日
◇秋例大祭
(前日宵宮)
日時:10月第2日曜
- エリア
- 香川県東部
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 〒769-2302 香川県さぬき市長尾西653 |
---|---|
電話番号 | 0879-52-2041 |
アクセス | JR造田駅から車で約5分 琴電長尾駅から徒歩約3分 志度ICから車で約10分 志度インターチェンジから長尾へ。約6km。 |
駐車場 | 40台 |
備考 | 宿坊:なし |