寺の歴史
四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所とされました。現在は、麓から山頂駅までロープウェイを利用することができます。住所は徳島県ですが、霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。
縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っているようです。最初は789年、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めて来たようですが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立しました。これが雲辺寺の創建とされています。2度目は807年、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をしたといいます。さらに818年、大師45歳のころ、嵯峨天皇(在位809-23)の勅を奉じて登りました。本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定めました。
霊場は俗に「四国坊」と呼ばれています。四国の各国から馳せ参じる僧侶たちの学問・修行の道場となり、「四国高野」と称されて栄えました。貞観年間(859-77)には清和天皇(在位858-76)の勅願寺にもなっている。鎌倉時代(1185-1333)は七堂伽藍も整備され、12坊と末寺8ヶ寺を境内に有しました。また、阿波、伊予、讃岐の関所でもあったといいます。天正年間(1573-92)に土佐の豪族・長宗我部元親がこの地の白地城に陣して雲辺寺に参拝。四国制覇を目指しましたが、当時の住職に諫められたといいます。雲辺寺の歴史にも消長はありますが、江戸時代(1603-1868)になってからは阿波藩主・蜂須賀公の手厚い保護をうけました。千古の杉に囲まれ、雲に包まれながら法灯を守っています。
その他見どころ
巨鼇
雲辺寺裏山問答(長宗我部元親と俊崇住職との問答)
乳銀杏
おたのみなす(境内の片隅、奥まったところにある腰掛け)
毘沙門天展望館(雲辺寺山の四季を360度眺望が楽しめる)
紫陽花や紅葉、雪化粧など季節ならではの景色もおすすめです。
四季の風景はこちら
四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所とされました。現在は、麓から山頂駅までロープウェイを利用することができます。住所は徳島県ですが、霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。
縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っているようです。最初は789年、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めて来たようですが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立しました。これが雲辺寺の創建とされています。2度目は807年、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をしたといいます。さらに818年、大師45歳のころ、嵯峨天皇(在位809-23)の勅を奉じて登りました。本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定めました。
霊場は俗に「四国坊」と呼ばれています。四国の各国から馳せ参じる僧侶たちの学問・修行の道場となり、「四国高野」と称されて栄えました。貞観年間(859-77)には清和天皇(在位858-76)の勅願寺にもなっている。鎌倉時代(1185-1333)は七堂伽藍も整備され、12坊と末寺8ヶ寺を境内に有しました。また、阿波、伊予、讃岐の関所でもあったといいます。天正年間(1573-92)に土佐の豪族・長宗我部元親がこの地の白地城に陣して雲辺寺に参拝。四国制覇を目指しましたが、当時の住職に諫められたといいます。雲辺寺の歴史にも消長はありますが、江戸時代(1603-1868)になってからは阿波藩主・蜂須賀公の手厚い保護をうけました。千古の杉に囲まれ、雲に包まれながら法灯を守っています。
その他見どころ
巨鼇
雲辺寺裏山問答(長宗我部元親と俊崇住職との問答)
乳銀杏
おたのみなす(境内の片隅、奥まったところにある腰掛け)
毘沙門天展望館(雲辺寺山の四季を360度眺望が楽しめる)
紫陽花や紅葉、雪化粧など季節ならではの景色もおすすめです。
四季の風景はこちら
- エリア
- 香川県西部
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 〒778-5251 徳島県三好市池田町白地ノロウチ763 |
---|---|
電話番号 | 0883-74-0066 |
アクセス | 大野原インターチェンジから高松市内向きに国道11号線・県道8号線へ。ロープウェイの看板に沿って山道を走れば、雲辺寺ロープウェイ乗り場に到着します。 |
駐車場 | 雲辺寺ロープウェイ山麓駅前に無料大駐車場あり |
備考 | 宿坊:なし |