四国最古の納札が発見された寺院
寺の歴史
圓明寺には、アメリカ人巡礼者が発見した四国霊場最古の銅板納札が保存されています。1924年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしていたときのことです。寺の本尊・阿弥陀如来像を安置している厨子に、銅板納札が打ち付けてあったのを見つけました。慶安3年(1650)の銘があり、縦24cm、幅が9.7cm、厚さ約1mm。破損のない納札としては、現存最古の銅板製です。
奉納者は樋口平人家次です。京都・五智山蓮華寺の伽藍を再興して、五智如来石仏を造立したことなどで知られています。この納札でとくに注目されるのは、初めて「遍路」の文字が記されていることです。
縁起によると729年、聖武天皇(在位724-49)の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造しました。それらを安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされています。当時は、和気浜の西山という海岸にあり「海岸山・圓明密寺」と称したといいます。
のち、弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興しました。しかしながら、鎌倉時代(1185-1333)に度重なる兵火で衰微、元和年間(1615-24)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移されました。さらに、1636年に京都・御室の覚深法親王からの令旨により仁和寺の直末として再建され、寺号もそのとき現在のように改められています。圓明寺はまた、聖母マリア像を浮き彫りにしたキリシタン灯籠があることでも知られています。
その他見どころ
観音堂(十一面観音像を安置。慶長5年の台座銘)
圓明寺には、アメリカ人巡礼者が発見した四国霊場最古の銅板納札が保存されています。1924年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしていたときのことです。寺の本尊・阿弥陀如来像を安置している厨子に、銅板納札が打ち付けてあったのを見つけました。慶安3年(1650)の銘があり、縦24cm、幅が9.7cm、厚さ約1mm。破損のない納札としては、現存最古の銅板製です。
奉納者は樋口平人家次です。京都・五智山蓮華寺の伽藍を再興して、五智如来石仏を造立したことなどで知られています。この納札でとくに注目されるのは、初めて「遍路」の文字が記されていることです。
縁起によると729年、聖武天皇(在位724-49)の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造しました。それらを安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされています。当時は、和気浜の西山という海岸にあり「海岸山・圓明密寺」と称したといいます。
のち、弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興しました。しかしながら、鎌倉時代(1185-1333)に度重なる兵火で衰微、元和年間(1615-24)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移されました。さらに、1636年に京都・御室の覚深法親王からの令旨により仁和寺の直末として再建され、寺号もそのとき現在のように改められています。圓明寺はまた、聖母マリア像を浮き彫りにしたキリシタン灯籠があることでも知られています。
その他見どころ
観音堂(十一面観音像を安置。慶長5年の台座銘)
- エリア
- 松山市
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 愛媛県松山市和気町1-182 |
---|---|
電話番号 | 089-978-1129 |
アクセス | 松山インターチェンジから国道33号線を松山市街へ。南環状線・国道196号線と走り、内宮交差点で左折。そのまま直進し、右手に見える。 |
駐車場 | あり 普通車10台/大型車3台 |
駐車場代 | 無料 |
備考 | 宿坊:なし |