川の氾濫を鎮めた弘法大師伝説の残る寺院
寺の歴史
泰山寺には、水難で人命を失う悪霊のたたりを鎮めた伝説が根強く残っています。弘法大師がこの地を訪れたのは815年のころ。蒼社川という川がこの地方を流れており、毎年梅雨の季節になると氾濫して、田地や家屋を流し、人命を奪っていました。村人たちは恐れ苦しみ、人取川といって悪霊のしわざと信じていたといいます。この事情を聴いた大師は、村人たちと堤防を築いて、「土砂加持」の秘法を七座にわたり修法しました。すると満願の日に延命地蔵菩薩が空中に現れ、治水祈願が成就したことを告げました。
その後、弘法大師はこの修法の地に「不忘の松」を植えて、感得した地蔵菩薩の尊像を彫造して本尊としました。そして、堂舎を建てて「泰山寺」と名づけたといいます。この寺名は、『延命地蔵経』の十大願の第一「女人泰産」からとったと伝えられます。「泰山」にはまた、寺があった裏山の金輪山を死霊が集まる泰山になぞらえ、亡者の安息を祈り、死霊を救済する意味もあるといいます。
寺はその後、淳和天皇(在位823-33)の勅願所となりました。七堂伽藍を備えて、塔頭に地蔵坊、不動坊など10坊を構えるほどの巨刹として栄えたといいます。しかしながら、度重なる兵火により寺の規模は縮小します。金輪山の山頂にあった境内は、麓の現在地、大師お手植えの「不忘の松」があったとされる場所に移りました。
また、泰山寺の右約300m「塔の元」という場所は、鎌倉時代の学僧で、『八宗綱要』を撰述した凝然(1240-1321)が誕生した地とされています。
その他見どころ
土砂加持
地蔵車(本堂斜め前。石塔に丸い輪があり、これを回すと六道輪廻の絆を断てるといわれる。六道は、地獄・餓鬼など衆生が背負う六つの迷界)
泰山寺には、水難で人命を失う悪霊のたたりを鎮めた伝説が根強く残っています。弘法大師がこの地を訪れたのは815年のころ。蒼社川という川がこの地方を流れており、毎年梅雨の季節になると氾濫して、田地や家屋を流し、人命を奪っていました。村人たちは恐れ苦しみ、人取川といって悪霊のしわざと信じていたといいます。この事情を聴いた大師は、村人たちと堤防を築いて、「土砂加持」の秘法を七座にわたり修法しました。すると満願の日に延命地蔵菩薩が空中に現れ、治水祈願が成就したことを告げました。
その後、弘法大師はこの修法の地に「不忘の松」を植えて、感得した地蔵菩薩の尊像を彫造して本尊としました。そして、堂舎を建てて「泰山寺」と名づけたといいます。この寺名は、『延命地蔵経』の十大願の第一「女人泰産」からとったと伝えられます。「泰山」にはまた、寺があった裏山の金輪山を死霊が集まる泰山になぞらえ、亡者の安息を祈り、死霊を救済する意味もあるといいます。
寺はその後、淳和天皇(在位823-33)の勅願所となりました。七堂伽藍を備えて、塔頭に地蔵坊、不動坊など10坊を構えるほどの巨刹として栄えたといいます。しかしながら、度重なる兵火により寺の規模は縮小します。金輪山の山頂にあった境内は、麓の現在地、大師お手植えの「不忘の松」があったとされる場所に移りました。
また、泰山寺の右約300m「塔の元」という場所は、鎌倉時代の学僧で、『八宗綱要』を撰述した凝然(1240-1321)が誕生した地とされています。
その他見どころ
土砂加持
地蔵車(本堂斜め前。石塔に丸い輪があり、これを回すと六道輪廻の絆を断てるといわれる。六道は、地獄・餓鬼など衆生が背負う六つの迷界)
- エリア
- 今治市周辺
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 愛媛県今治市小泉1-9-18 |
---|---|
電話番号 | 0898-22-5959 |
営業時間 | 7:00~17:00 |
アクセス | 今治インターチェンジから国道196号線を東予市方面へ直進。約500m先の交差点で右折後、直進すると右手に見えてきます。 |
駐車場 | あり 普通車30台/マイクロバス10台/大型車4台 |
駐車場代 | 無料 |
備考 | 宿坊:なし |