【寺の歴史】
四国霊場には四県に国分寺があり、その最初の札所が「阿波國分寺」です。仏教に篤く帰依した聖武天皇(在位724-49)は、741年に国家の安穏や五穀豊穣、政教一致、地方文化の向上を祈って、勅命により全国68ヶ所に国分寺、国分尼寺を創建しました。奈良・東大寺はその総国分寺ともいわれます。
縁起によると、阿波國分寺には聖武天皇から釈迦如来の尊像と『大般若経』が納められ、本堂には光明皇后のご位牌厨子を奉祀したと伝えられています。開基は行基菩薩です。自ら薬師如来を彫造し本尊としています。創建当初は奈良の法隆寺や薬師寺、興福寺と同じ南都の学派に属する法相宗でした。寺領は約四万七千平方メートルで、金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七堂伽藍が整っていました。この寺域からは塔の礎石などが発掘されており、徳島県の史跡に指定されています。
弘仁年間(810-24)に弘法大師が四国霊場の開創のため巡教した際に、宗派を真言宗に改めています。その後、天正の兵火によって灰燼に帰しており、境内が衰微していた様子が寂本著『四國遍禮霊場記』(1689)からも知ることができます。1741年に阿波藩郡奉行、速水角五郎によって伽藍が再建されて以来、現在の禅宗・曹洞宗寺院となっています。
境内の遺跡からかつての栄華がしのばれるでしょう。
【庭園】
国指定(2000年)の名勝庭園は、本堂東側の枯池式枯山水と、四周に石組を配した築山式枯山水からなります。江戸時代(1603-1868)後期に大改修され、豪快な石組造形を持つ日本屈指の庭園です。拝観料300円。
【本堂】
重層の入母屋造りで、文化、文政年間(1804-30) に再建されました。聖武天皇、光明皇后の位牌が祀られています。
四国霊場には四県に国分寺があり、その最初の札所が「阿波國分寺」です。仏教に篤く帰依した聖武天皇(在位724-49)は、741年に国家の安穏や五穀豊穣、政教一致、地方文化の向上を祈って、勅命により全国68ヶ所に国分寺、国分尼寺を創建しました。奈良・東大寺はその総国分寺ともいわれます。
縁起によると、阿波國分寺には聖武天皇から釈迦如来の尊像と『大般若経』が納められ、本堂には光明皇后のご位牌厨子を奉祀したと伝えられています。開基は行基菩薩です。自ら薬師如来を彫造し本尊としています。創建当初は奈良の法隆寺や薬師寺、興福寺と同じ南都の学派に属する法相宗でした。寺領は約四万七千平方メートルで、金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七堂伽藍が整っていました。この寺域からは塔の礎石などが発掘されており、徳島県の史跡に指定されています。
弘仁年間(810-24)に弘法大師が四国霊場の開創のため巡教した際に、宗派を真言宗に改めています。その後、天正の兵火によって灰燼に帰しており、境内が衰微していた様子が寂本著『四國遍禮霊場記』(1689)からも知ることができます。1741年に阿波藩郡奉行、速水角五郎によって伽藍が再建されて以来、現在の禅宗・曹洞宗寺院となっています。
境内の遺跡からかつての栄華がしのばれるでしょう。
【庭園】
国指定(2000年)の名勝庭園は、本堂東側の枯池式枯山水と、四周に石組を配した築山式枯山水からなります。江戸時代(1603-1868)後期に大改修され、豪快な石組造形を持つ日本屈指の庭園です。拝観料300円。
【本堂】
重層の入母屋造りで、文化、文政年間(1804-30) に再建されました。聖武天皇、光明皇后の位牌が祀られています。
- エリア
- 徳島県東部
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 〒779-3126 徳島県徳島市国府町矢野718-1 |
---|---|
電話番号 | 088-642-0525 |
アクセス | 藍住インターチェンジから県道1号線を徳島市内へ行き、国道192号線と合流すると石井町方面へと走っていると看板があるので、それに沿って県道123号線へ。 |
駐車場 | 普通10台・マイクロバス1台(特例) 大型車は入車不可で駐車禁止 午前7時-午後5時 |
駐車場代 | 無料 |