【寺の歴史】
元々、現在地から北3キロほど奥の、十楽寺谷の堂ヶ原に寺があったと推定されます。大同年間(806-810)に弘法大師がこの地を巡教したとき、阿弥陀如来を感じとりました。そして、弘法大師はその如来像を刻み、当寺の本尊として祀りました。その際に、大師は生・老・病・死など人間として避けることのできない苦難があっても、10の光明と、輝く楽しみが得られるようにと「光明山十楽寺」という寺名にしました。創建からしばらくは、阿波の北方きっての広大な七堂伽藍を誇っていましたが、1528年に長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)による兵火で、すべての建物を焼失しました。幸い、本尊は住職が背負い難を免れたといいます。1635年に現在の地に移り、再建されました。
さらに1994年には木造の本堂が建立されました。本堂左前にある治眼疾目救歳地蔵尊は、古くから眼病、失明した人たちの治療に霊験があるとされています。眼病に悩むお遍路さんの参詣が多いです。また、中門遍照殿では良縁を結び悪縁を切る愛染明王が祀られており、ご祈願に訪れる人が絶えません。
【愛染明王】
愛染明王は愛欲や欲望など、煩悩を持った者を、悟りの境地まで導いてくれる仏様です。息災、増益、敬愛、降伏の四つの利益があり、降魔や除災、男女の縁結びに大きく効果があるとされています。画像1
【治眼疾目救歳地蔵尊】
治眼疾目救歳地蔵尊煩悩は大師堂階段手前の横にあります。古くから眼病平癒の地蔵尊として知られます。
【その他見どころ】
・山門
・水子地蔵(山門を入るとすぐ正面にある)
元々、現在地から北3キロほど奥の、十楽寺谷の堂ヶ原に寺があったと推定されます。大同年間(806-810)に弘法大師がこの地を巡教したとき、阿弥陀如来を感じとりました。そして、弘法大師はその如来像を刻み、当寺の本尊として祀りました。その際に、大師は生・老・病・死など人間として避けることのできない苦難があっても、10の光明と、輝く楽しみが得られるようにと「光明山十楽寺」という寺名にしました。創建からしばらくは、阿波の北方きっての広大な七堂伽藍を誇っていましたが、1528年に長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)による兵火で、すべての建物を焼失しました。幸い、本尊は住職が背負い難を免れたといいます。1635年に現在の地に移り、再建されました。
さらに1994年には木造の本堂が建立されました。本堂左前にある治眼疾目救歳地蔵尊は、古くから眼病、失明した人たちの治療に霊験があるとされています。眼病に悩むお遍路さんの参詣が多いです。また、中門遍照殿では良縁を結び悪縁を切る愛染明王が祀られており、ご祈願に訪れる人が絶えません。
【愛染明王】
愛染明王は愛欲や欲望など、煩悩を持った者を、悟りの境地まで導いてくれる仏様です。息災、増益、敬愛、降伏の四つの利益があり、降魔や除災、男女の縁結びに大きく効果があるとされています。画像1
【治眼疾目救歳地蔵尊】
治眼疾目救歳地蔵尊煩悩は大師堂階段手前の横にあります。古くから眼病平癒の地蔵尊として知られます。
【その他見どころ】
・山門
・水子地蔵(山門を入るとすぐ正面にある)
- エリア
- 徳島県東部
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 〒771-1509 徳島県阿波市土成町高尾字法教田58 |
---|---|
電話番号 | 088-695-2150 |
アクセス | 土成インターチェンジから、高速道路に沿った道を板野方面に進むと、左手にあります。 |
駐車場 | 普通20台・大型5台 午前7時〜午後5時まで |
備考 | 宿坊:あり(70人・個室) |