【寺の歴史】
焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所です。剣山や白髪山など四国山脈の山々がひろがる眺望は見事です。四国霊場には「遍路ころがし」といわれる札所がいくつかあります。焼山寺もその一つで、昔から嶮しい坂道の難所を辿る「修行の霊場」でした。いまは山上まで車道が通っています。
縁起によると、飛鳥時代(592-710)に役行者が山をひらいて、蔵王権現を祀ったのが寺のはじまりとされます。ところが、この山には神通力を持った大蛇が棲んでおり、しばしば火を吐いて農作物や村人たちを襲っていたのです。815年、弘法大師が一本杉で休んでいた処、阿弥陀様があらわれた夢を見ました。目を覚ますと目の前が火の海になっています。そこで麓の垢取川(こりとりがわ)に身を清め、山に登ろうとすると、大蛇は全山を火の海にして妨害してきました。弘法大師が「摩廬(まろ:水輪のこと)の印いん」を結び、真言を唱えながら進むと、大蛇は山頂近くの岩窟で姿をあらわしました。
弘法大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の御加護のもと、蛇を岩窟に封じ込めました。そして自ら彫った三面大黒天を安置し、被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈りました。「摩廬」の山号も「焼山」の寺名も、こうした奇異な伝説に由来しています。鎌倉時代(1185-1333)の後期には後醍醐天皇(在位138-39)の勅願所となりました。
境内は樹齢数百年の杉の巨木(県の天然記念物)が並び、巡礼者を迎えています。
【三面大黒天】
中央が大黒天、右面が毘沙門天、そして左面が弁財天の像です。本堂左横のお堂にあります。
【杖杉庵】
四国遍路の元祖と言われている、右衛門三郎が終焉した地に建てられたお堂です。番外霊場であり、境内から車道1.6キロほど下ったところにあります。
【その他見どころ】
・神山町(徳島県特産であるウメやスダチの産地です)
【年中行事】
・正御影供
日時:旧3月21日
・こもり法要
日時:8月30日
・大般若会
日時:秋の彼岸中日
焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所です。剣山や白髪山など四国山脈の山々がひろがる眺望は見事です。四国霊場には「遍路ころがし」といわれる札所がいくつかあります。焼山寺もその一つで、昔から嶮しい坂道の難所を辿る「修行の霊場」でした。いまは山上まで車道が通っています。
縁起によると、飛鳥時代(592-710)に役行者が山をひらいて、蔵王権現を祀ったのが寺のはじまりとされます。ところが、この山には神通力を持った大蛇が棲んでおり、しばしば火を吐いて農作物や村人たちを襲っていたのです。815年、弘法大師が一本杉で休んでいた処、阿弥陀様があらわれた夢を見ました。目を覚ますと目の前が火の海になっています。そこで麓の垢取川(こりとりがわ)に身を清め、山に登ろうとすると、大蛇は全山を火の海にして妨害してきました。弘法大師が「摩廬(まろ:水輪のこと)の印いん」を結び、真言を唱えながら進むと、大蛇は山頂近くの岩窟で姿をあらわしました。
弘法大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の御加護のもと、蛇を岩窟に封じ込めました。そして自ら彫った三面大黒天を安置し、被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈りました。「摩廬」の山号も「焼山」の寺名も、こうした奇異な伝説に由来しています。鎌倉時代(1185-1333)の後期には後醍醐天皇(在位138-39)の勅願所となりました。
境内は樹齢数百年の杉の巨木(県の天然記念物)が並び、巡礼者を迎えています。
【三面大黒天】
中央が大黒天、右面が毘沙門天、そして左面が弁財天の像です。本堂左横のお堂にあります。
【杖杉庵】
四国遍路の元祖と言われている、右衛門三郎が終焉した地に建てられたお堂です。番外霊場であり、境内から車道1.6キロほど下ったところにあります。
【その他見どころ】
・神山町(徳島県特産であるウメやスダチの産地です)
【年中行事】
・正御影供
日時:旧3月21日
・こもり法要
日時:8月30日
・大般若会
日時:秋の彼岸中日
- エリア
- 徳島県東部
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 〒771-3421 徳島県名西郡神山町下分字中318 |
---|---|
電話番号 | 088-677-0112 |
アクセス | 11番藤井寺より192号を経て、石井町経由し県道20号線を利用すると便利。 |
駐車場 | 各車種あわせ70〜80台 |
駐車場代 | 普通車/300円・ワゴン車/500円・大型車/1,000円 |
備考 | 宿坊:あり(30人・山上のため必ず予約ください) |