寺の歴史
屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島です。那須与一の扇の的や義経の弓流しで有名な、源平合戦の古戦場(1185)として知られています。屋島寺はその南嶺にあります。屋島寺は、天平勝宝のころ(749-757)鑑真和上によって開創されたと伝えられます。鑑真和上は唐の学僧です。朝廷からの要請をうけ、5度にわたって日本へ出航しましたが、暴風や難破で失明。苦難のすえ、753年に鹿児島に漂着しました。翌年、船で東大寺に向かう道すがら、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得し、屋島の北嶺に登りました。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、寺を創建したといいます。のちに、和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔や精舎を構え、「屋島寺」と称し、初代住職になりました。
815年、弘法大師は嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願を受け、屋島寺を訪ねました。北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に移し、また十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置しました。以後、大師は屋島寺の中興開山の祖として仰がれています。屋島寺はまた、山岳仏教の霊場としても隆盛しました。天暦年間(947〜57)には明達律師が訪ね、四天王像を奉納しています。現在の本尊・十一面千手観音坐像はこのころに造られており、国指定重要文化財になっています。やはり国指定重要文化財の本堂は鎌倉時代に造営されていますが、寺運は戦乱によって衰退します。ですが、国主・生駒氏の寺領寄進や、歴代藩主の援助により、相次いで修築され、鎌倉・江戸時代の風格を現代に伝えています。
その他見どころ
蓑山大明神(本堂の右。四国狸の総大将「太三郎狸」と呼ばれる土地の氏神。子宝、縁結びや家庭円満などの神さま)
屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島です。那須与一の扇の的や義経の弓流しで有名な、源平合戦の古戦場(1185)として知られています。屋島寺はその南嶺にあります。屋島寺は、天平勝宝のころ(749-757)鑑真和上によって開創されたと伝えられます。鑑真和上は唐の学僧です。朝廷からの要請をうけ、5度にわたって日本へ出航しましたが、暴風や難破で失明。苦難のすえ、753年に鹿児島に漂着しました。翌年、船で東大寺に向かう道すがら、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得し、屋島の北嶺に登りました。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、寺を創建したといいます。のちに、和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔や精舎を構え、「屋島寺」と称し、初代住職になりました。
815年、弘法大師は嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願を受け、屋島寺を訪ねました。北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に移し、また十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置しました。以後、大師は屋島寺の中興開山の祖として仰がれています。屋島寺はまた、山岳仏教の霊場としても隆盛しました。天暦年間(947〜57)には明達律師が訪ね、四天王像を奉納しています。現在の本尊・十一面千手観音坐像はこのころに造られており、国指定重要文化財になっています。やはり国指定重要文化財の本堂は鎌倉時代に造営されていますが、寺運は戦乱によって衰退します。ですが、国主・生駒氏の寺領寄進や、歴代藩主の援助により、相次いで修築され、鎌倉・江戸時代の風格を現代に伝えています。
その他見どころ
蓑山大明神(本堂の右。四国狸の総大将「太三郎狸」と呼ばれる土地の氏神。子宝、縁結びや家庭円満などの神さま)
- エリア
- 高松市周辺
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 〒761-0111 香川県高松市屋島東町1808 |
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電話番号 | 087-841-9418 |
営業時間 | 宝物館9:30~16:30 納経の受付時間は7:00~17:00 |
休業日 | 不定休 |
料金 | 宝物館入館 大人500円・中学生以下300円 |
アクセス | 高松西インターチェンジから国道11号線南バイパス・国道11号線を東へ。マクドナルドのある交差点を左折しドライブウェイのゲートに着きます。 |
駐車場 | 屋島山上観光駐車場 |
駐車場代 | 有料(普通自動車300円 二輪車200円 バス1,200円) |
備考 | 宿坊:なし |