寺の歴史
縁起によると、曼荼羅寺の創建は四国霊場で最も古い596年です。讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され、初め「世坂寺(よさかでら)」と称していました。弘法大師がこの寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のこと。母玉依御前の仏果菩提を祈るためだったともいわれています。唐の青龍寺にならって伽藍を三年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に改めました。
また、四国霊場の古い案内書には、樹齢1200年を超す弘法大師お手植えの「不老松」の存在も紹介されています。高さは4m足らずですが直径が17〜18mもあり、菅笠をふたつ伏せたような印象的な姿で、県の自然記念物にも指定されていました。しかし、松食い虫に浸食され、2002年に伐採されています。
曼荼羅寺の近くには「水茎の丘」という丘があります。ここに庵を建てて7年余り暮らしていたのが西行法師。この寺に通い、本堂前の平らな石の上でよく昼寝をしていたようで、この石は「西行の昼寝石」と呼ばれ今も同じ場所にあります。また、その横には「笠掛桜」と呼ばれる桜の木も。西行が都に帰る際、同行者が形見にと桜の木に笠をかけたまま出発したのを見て「笠はありその身はいかになりぬらんあはれはかなきあめが下かな」という歌を詠んだそうです。
その他見どころ
聖観音立像・笠松大師・西行の昼寝石(平安時代末期の歌僧・西行がこの寺に通っては昼寝をしていたという石です)
年中行事
◇永代経土砂加持法要
日時:春の彼岸入り日
◇星供
日時:冬至、大晦日、節分
縁起によると、曼荼羅寺の創建は四国霊場で最も古い596年です。讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され、初め「世坂寺(よさかでら)」と称していました。弘法大師がこの寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のこと。母玉依御前の仏果菩提を祈るためだったともいわれています。唐の青龍寺にならって伽藍を三年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に改めました。
また、四国霊場の古い案内書には、樹齢1200年を超す弘法大師お手植えの「不老松」の存在も紹介されています。高さは4m足らずですが直径が17〜18mもあり、菅笠をふたつ伏せたような印象的な姿で、県の自然記念物にも指定されていました。しかし、松食い虫に浸食され、2002年に伐採されています。
曼荼羅寺の近くには「水茎の丘」という丘があります。ここに庵を建てて7年余り暮らしていたのが西行法師。この寺に通い、本堂前の平らな石の上でよく昼寝をしていたようで、この石は「西行の昼寝石」と呼ばれ今も同じ場所にあります。また、その横には「笠掛桜」と呼ばれる桜の木も。西行が都に帰る際、同行者が形見にと桜の木に笠をかけたまま出発したのを見て「笠はありその身はいかになりぬらんあはれはかなきあめが下かな」という歌を詠んだそうです。
その他見どころ
聖観音立像・笠松大師・西行の昼寝石(平安時代末期の歌僧・西行がこの寺に通っては昼寝をしていたという石です)
年中行事
◇永代経土砂加持法要
日時:春の彼岸入り日
◇星供
日時:冬至、大晦日、節分
- エリア
- 香川県中部
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 〒765-0061 香川県善通寺市吉原町1380番地1 |
---|---|
電話番号 | 0877-63-0072 |
アクセス | 善通寺インターチェンジから琴平方面に向かって右折、最初の陸橋交差点を右折して県道48号線を西へ。吉原公民館の信号を左折、団地の中程を右折して進むと右手に見えてきます。 |
駐車場 | 普通車25台・大型車4台・ マイクロバス6台 有料(軽・普通車200円・バス500円) |
備考 | 宿坊:なし |