寺の歴史
甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所。平安初期(平安時代:794-1185)、壮年期になった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していました。
あるとき甲山を歩いていると、麓の岩窟から老人が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言いました。弘法大師は大変喜び、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置し、供養しました。
その後、嵯峨天皇の勅命を受けて、日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督するよう命じられた弘法大師。朝廷が派遣した築池使さえも達成できなかった、難しい工事です。弘法大師は、甲山の岩窟で工事の完成を祈願し、薬師如来像を刻んで修法しました。すると大師を慕って数万人の人々が集まり、力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたのです。朝廷からこの功績を称えられ、金二万銭を与えられた弘法大師は、銭の一部を寺の建立にあて、先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を本尊とし、安置。山の形が毘沙門天の甲冑の形に似ていることから「甲山寺」と名づけました。
薬師如来は、心身に災いする一切のものを除くといわれる仏様。甲山寺を訪れた人々の力強い支えとなっていることは言うまでもありません。
その他見どころ
子安地蔵(大師堂へ続く石段の隣に祀られたお地蔵様は子宝にご利益があるとか。子宝を願ってお地蔵様の前掛けを持ち帰り、叶うと新しい前掛けを持ってくる習わしです)
年中行事
◇毘沙門天の秘法修め
毘沙門天の秘法を修め、開運お守りをお授けします。
日時:毎年正月三が日
◇秋彼岸中日・彼岸会永代供養法要
日時:9月23日
甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所。平安初期(平安時代:794-1185)、壮年期になった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していました。
あるとき甲山を歩いていると、麓の岩窟から老人が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言いました。弘法大師は大変喜び、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置し、供養しました。
その後、嵯峨天皇の勅命を受けて、日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督するよう命じられた弘法大師。朝廷が派遣した築池使さえも達成できなかった、難しい工事です。弘法大師は、甲山の岩窟で工事の完成を祈願し、薬師如来像を刻んで修法しました。すると大師を慕って数万人の人々が集まり、力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたのです。朝廷からこの功績を称えられ、金二万銭を与えられた弘法大師は、銭の一部を寺の建立にあて、先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を本尊とし、安置。山の形が毘沙門天の甲冑の形に似ていることから「甲山寺」と名づけました。
薬師如来は、心身に災いする一切のものを除くといわれる仏様。甲山寺を訪れた人々の力強い支えとなっていることは言うまでもありません。
その他見どころ
子安地蔵(大師堂へ続く石段の隣に祀られたお地蔵様は子宝にご利益があるとか。子宝を願ってお地蔵様の前掛けを持ち帰り、叶うと新しい前掛けを持ってくる習わしです)
年中行事
◇毘沙門天の秘法修め
毘沙門天の秘法を修め、開運お守りをお授けします。
日時:毎年正月三が日
◇秋彼岸中日・彼岸会永代供養法要
日時:9月23日
- エリア
- 香川県中部
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 〒765-0071 香川県善通寺市弘田町1765-1 |
---|---|
電話番号 | 0877-63-0074 |
アクセス | 善通寺ICから車で約10分 JR善通寺駅から徒歩約30分 善通寺インターチェンジから観音寺市内向きに国道11号線へ。高速の高架をくぐると、看板が角ごとに現れるのでそれに従います。曼茶羅寺を過ぎて左折、直進すれば見えてきます。 |
駐車場 | 50台(大型バス可) 軽・普通自動車200円、ジャンボタクシー200円、マイクロバス300円、大型バス500円 |
駐車場代 | 無料 |
備考 | 宿坊:なし |