【寺の歴史】
土佐湾の海岸から太平洋のうねりが轟きます。当寺は小高い山、とはいっても標高82mほどの峰山の頂上にあることから、地元では「みねんじ」とか「みねでら」「みねじ」と親しまれています。また、海上の交通安全を祈願して建立されたということで、海の男たちは「船魂の観音」とも呼んでいます。江戸時代(1603-1868)には漁師に限らず、歴代の藩主がこの寺で航海の無事を祈り、参勤交代などで浦戸湾から出航しました。
縁起によると、行基菩薩が聖武天皇(在位724-49)から勅命をうけて、土佐沖を航行する船舶の安全を願って、堂宇を建てたのが起源とされています。のちに806年、弘法大師が当寺を訪れました。奇岩霊石が立ち並ぶ境内を見た弘法大師は、さながら観音の浄土、仏道の理想の山とされる天竺・補陀落山のような霊域であると感じます。弘法大師は虚空蔵求聞持法の護摩を修法。彫造した十一面観世音菩薩像を本尊とし、寺を「禅師峰寺」と名付け、また、峰山の山容が八葉の蓮台に似ていたことから「八葉山」と号しました。
以来、土佐初代藩主・山内一豊公はじめ歴代藩主の帰依をうけ、「船魂観音」と呼ばれる観音さんは今も漁民たちの信仰を集めています。仁王門の金剛力士像は、鎌倉時代(1185-1333)の仏師、定明の作で国指定重要文化財。堂宇はこぢんまりと肩を寄せ合うように建っています。その周りは樹木におおわれ、奇怪な岩石が多くあり、幽寂な雰囲気を漂わせています。
芭蕉の句碑「木がらしに岩吹き尖る杉間かな」は、本堂前の奇岩の間にあります。
【寺宝】
1308年作の梵鐘と、1570年作の鰐口です。ともに県指定文化財。
【金剛力士像】
【その他見どころ】
・禅師
・武市半平太(別名瑞山・土佐勤王党を組織した藩士です。寺を下った場所に旧宅と墓があります)
【年中行事】
・大般若会
日時:6月17日14時〜
土佐湾の海岸から太平洋のうねりが轟きます。当寺は小高い山、とはいっても標高82mほどの峰山の頂上にあることから、地元では「みねんじ」とか「みねでら」「みねじ」と親しまれています。また、海上の交通安全を祈願して建立されたということで、海の男たちは「船魂の観音」とも呼んでいます。江戸時代(1603-1868)には漁師に限らず、歴代の藩主がこの寺で航海の無事を祈り、参勤交代などで浦戸湾から出航しました。
縁起によると、行基菩薩が聖武天皇(在位724-49)から勅命をうけて、土佐沖を航行する船舶の安全を願って、堂宇を建てたのが起源とされています。のちに806年、弘法大師が当寺を訪れました。奇岩霊石が立ち並ぶ境内を見た弘法大師は、さながら観音の浄土、仏道の理想の山とされる天竺・補陀落山のような霊域であると感じます。弘法大師は虚空蔵求聞持法の護摩を修法。彫造した十一面観世音菩薩像を本尊とし、寺を「禅師峰寺」と名付け、また、峰山の山容が八葉の蓮台に似ていたことから「八葉山」と号しました。
以来、土佐初代藩主・山内一豊公はじめ歴代藩主の帰依をうけ、「船魂観音」と呼ばれる観音さんは今も漁民たちの信仰を集めています。仁王門の金剛力士像は、鎌倉時代(1185-1333)の仏師、定明の作で国指定重要文化財。堂宇はこぢんまりと肩を寄せ合うように建っています。その周りは樹木におおわれ、奇怪な岩石が多くあり、幽寂な雰囲気を漂わせています。
芭蕉の句碑「木がらしに岩吹き尖る杉間かな」は、本堂前の奇岩の間にあります。
【寺宝】
1308年作の梵鐘と、1570年作の鰐口です。ともに県指定文化財。
【金剛力士像】
【その他見どころ】
・禅師
・武市半平太(別名瑞山・土佐勤王党を組織した藩士です。寺を下った場所に旧宅と墓があります)
【年中行事】
・大般若会
日時:6月17日14時〜
- エリア
- 高知県中部
- カテゴリ
- 八十八ヶ所霊場(遍路寺)
住所 | 〒783-0085 高知県南国市十市3084 |
---|---|
電話番号 | 088-865-8430 |
アクセス | 高知インターチェンジから、五台山、桂浜方面へ向い、直進し、大平山トンネルを抜けて高知新港の交差点を左折、そのまま直進して禅師峰寺の案内板を右折、禅師峰寺入口の案内板を左折、山道を登るとあります。 |
駐車場 | 普通30台・マイクロバス10台・大型5台 |
駐車場代 | 無料 |